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第11回 お月見

満月→お月見、という安直な発想。
マフラーしてるのできっと十三夜のお月見ですね。
  • 利郁(りゆ)
  • 2016/01/26 (Tue) 00:53:29

第11回 答え合わせ

言いっぱなしで
結局、結末は知らない
「あの日の月はどうでしたか」

合って話している時間は楽しすぎて
少し前のことだって
思い起こすのが億劫だ

それくらい日々が
目まぐるしく
そしてどれだけ
滲もうとも、眩しい

果たしていつまで続くものか
何の制約もない、こんな

だけどいつか答え合わせさせてね
「あの日の月は綺麗でしたか」
お茶でも飲みながらゆっくりと

あなたの出す答えが
yesでなくてもいい

わたしの見た月は
今日の月みたいでしたよって
一度でいいから一緒に見上げたいのです
  • 2016/01/26 (Tue) 00:52:12

第11回 月を割る

「うあぁ……」


湯気を立てるどんぶりの中身にじっと目を落としていたアリサが、唐突に小さくくぐもった声を上げた。
『蛙が潰れたような声』とはよく聞くが、ひょっとしてこんな声のことを言うのだろうか。
仮にもうら若い女性がそんな品の無い、とは思ったが寿命が惜しいので口にはしない。


「……どしたの」

「たまご、割っちゃった」

「たまご?……あぁ、」


何事かと向かいのどんぶりの中身を覗いてみれば、彼女が食べていた月見うどんの卵の黄身が割れて汁に溶けだしていた。
膜のような白身部分が黄身を避けるように透明に艶めく。
整った円形だった筈の黄色が、じわじわと麺の上に染み出していた。
箸とれんげで掻き回しているうちに割ってしまったようだ。アリサの眉間に皺が寄っている。
曰く、自分のタイミングで黄身を割れなかったことが気に食わないらしい。まぁ何となくわからなくもないが。

食堂のカウンター横の食券機が目に入る。何ひとつ目新しさなどないメニュー名と、その下に値段が添えられたボタンが数列並んでいる。その内の一点が目に留まった瞬間、俺はふと閃いた。
いや、閃いたと言うほど大したことではないのだが、目の前であからさまに急降下していくアリサの機嫌を宥めるには足りると思った。俺は食券機をついと指差し、解決案を提示してやることにした。


「卵、別に買ってもう1個入れれば?ひとつ80円だってさ」

「それだ」


ナイス、と言わんばかりに箸の先を真っ直ぐ此方へ向けてくるアリサ。ああ、行儀が悪いったらありはしない。恐らくは今俺の眉間にも皺が寄っている。


寒い寒いと嘆きながら歩いた道を態々半分近く引き返してきたのが、数十分前のこと。日が沈んでしまうのが早くなった帰り道。白い息を吐きながら足早に家へと急いでいたとき、隣で一方的に話していたアリサが視界の端から消えたことに気付き振り返った。
数歩分後ろで立ち止まったアリサが、ぽかんと間抜けに口を開けて何かを見上げていた。そのあまりに正体無い顔付きも呆れる程気になったが、一先ずは彼女の見上げる先を辿ってみることにした。

星の無い夜空に浮かんだその球体がぼんやり霞んで見えたのは、俺の目が悪くなったから、ではないと思う。夜なので暗くて分かりづらいが、どうやらあまり天気は良くないらしい。満月の周りに雲が膜のように纏わり付いているのが見えた。微かな月明かりが球体の輪郭をぼかし引き伸ばされたように雲と繋がって、それは酷く漠然とした光景であった。


「月見うどん食べたい」


横でぼそりとアリサが呟いたのが聞こえた。え、と訊き返す間もなく、身体が傾く。
俺の腕を容赦なく掴み、アリサはもと来た道を駅目掛け犬のように駆け出した。暴力的に冷たい外気が俺の頬を切った。ちょっと待って、だとか、腕に爪食い込んで痛い、だとか、泣き言を垂れそうになりながら俺は引き摺られないよう走るのに必死だった。今日は中華丼が食いたかったのに、俺は走りながらそっとぼやいたのだった。


「しょーちゃんはたまご、入れないの」

「……まぁ、入れてもいい気はしてきたけど」

「でしょー?入れとけ入れとけ」


敢えて俺は月見うどんを注文しなかったことについては、幸いアリサは何も言わなかった。夕飯のスケジュールを急遽台無しにされたことへの多少の抗議の意図はあったかもしれないが、まぁそんな俺の事情など慮る女ではない、アリサは。単にかき揚げ蕎麦が好きだっただけだ。言い聞かせるように頭の中で呟いた。

既に卵の溶けたどんぶりをカウンターに差し出すアリサに厨房の女性は不思議そうな顔をしたが、すぐに注文通り卵をひとつ小皿に乗せて寄越した。賢明だ、俺は胸の内で厨房の彼女を賞賛した。どんなに他人であってもアリサの機嫌を損ねるべきではない、そのとばっちりは全て俺へと飛来するのだから。
卵は一日一個が適量、それ以上はたんぱく質の摂り過ぎだといつか習った覚えがある。しかしそれを口にすればアリサに「今更何を」と生ゴミを見るような目を向けられることは容易に想像できた。俺はマゾではないのだ。これ以上神経磨り減らすような真似は止そう、俺は口をつぐむことにした。

望み通り新しい卵を手に入れたアリサは、鼻歌混じりにその場でカンカンと殻を割り出した。席に戻ってから割りなよ、と指摘してやった。無視された。
自分の分の卵の食券をカウンターに滑らせながら、アリサのお気に召さなかった、彼女のどんぶりの中の気の毒なお月様の成れの果てを見下ろした。あのとき見上げたものと同じ景色がどんぶりの中に広がっていた。既に全体的に流れ出し麺に覆い被さった黄色。最早どこからどこまでがあの球体であったのか。
ぼちゃり。アリサの手によって新しいお月様がどんぶりの中へ投下された。
元いたお月様が、押し潰されてぐるぐる沈んだ。


席に戻ってからのアリサはひたすらどんぶりの中のお月様を愛でることに腐心していた。箸の先端で割れるぎりぎり限界の力加減で黄身をつついたり、れんげで周りの白身ごと黄身を持ち上げては落とし、を繰り返したり。今のアリサに『食事をする』というつもりは露ほども無いだろう。「食べ物で遊んじゃいけません」と彼女の親は教育しなかったのか、もしくは彼女がその教えを言語と認識しなかったのか。幼い子が庭の蟻を嬲るように、彼女は手元の小さな満月を蹂躙していた。

やがて、終わりの見えない遊びに飽きたのか否か、からかうように黄身の周りを掠めるばかりだったアリサの箸が、まさに唐突に黄身の中心を貫いた。まるで風船の空気が抜けるように、呆気なく形を失う黄身。どろり、汁に滲み出す内容物。それを見て、アリサは気が狂ったとばかりに天井を仰いでけたけた笑った。手を叩き足をばたつかせ、明らかに年齢相応の挙動ではないのだが、これがアリサという人間であった。

さらにそれを見ていた周囲のごく少数の客が、奇異の目を向けてくる。俺は自分の食事に集中することにした。アリサと行動を共にしていればこんなことは日常茶飯事である。しかし慣れていることと許容しているかどうかは別の話だ。俺はなるべく視線を泳がせないよう気を張りながら麺を啜った。


ふと、向かいでそわそわと此方の手元を窺うアリサの様子に気が付いた。幼児のように箸を二本逆手に握り締め、目付きは何やら期待に満ちている。にやけるのを堪えるように引き結ばれた唇。俺のどんぶりの中には、未だ手を付けてない無傷の生卵。
……あぁ、と俺は悟った。おかしいとは思ったんだ。「しょーちゃんは入れないの?」だなんて、珍しく人に気を配るようなことを言うものだから。お前はそんな退屈な女じゃないこと、俺が一番知っている。


「……はいはい、どうぞお好きなように」


食事を中断した(させられた)俺は椅子に凭れるように上体を引いて、態とらしく手を広げる。「んふふ、」と笑うアリサ。そして、俺が引いたのと同じだけ身を乗り出したアリサは、俺のどんぶりを見下ろす。

三白眼が、冷たく煌めいた。唇だけが無邪気に笑みに歪んでいる。
アリサの箸の先端が、ぶちっ、と聞こえない音を立てて黄身へと突き立てられる。
俺のまんまるお月様が、今、死んだ。
  • 日杏(にちあん)
  • 2016/01/26 (Tue) 00:50:02

第10回 夜とプールと満天の星

うちの学校のプールには幽霊が出るともっぱらの噂だ。そこで不良に目を付けられていた僕は、真夜中学校のプールに呼び出された。
 案の定、待ち合わせの場所に奴らはおらず、僕は真夜中の学校で一人きり。僕を怖がらせようとしているのか、それとも真夜中僕を呼びだしたさえ忘れてしまっただけか。どちらにしろ、僕には僥倖と言えた。
 真夜中の学校など、怖くはない。生きている人間に比べたら、こんなものは全然……。
 帰ろうかな、と思ったその時、フェンスの向こうでざぱんと小さな水音がした。

 学校のプールのフェンスってのは、どうしてこう無闇に高いのだろう?
 恐らく防犯上の理由から。今の僕みたいによじ登ろうとする不審者がいるため。酔っぱらいが落ちて、事故が起きても困るから。
 どうにか、上までよじ登り、中を覗き込む。
 暗いけれど透明な夜気の中、ど真ん中のコースにそれは見えた。淡く蛍のように光る、その身体。小さく水しぶきを上げながら、ゆっくりゆっくりと泳ぐその姿。
 本当に幽……
 呆気にとられた僕は、そのままフェンスの内側に転落した。

「あーはっはっは!」
 幽霊の高笑いを、初めて聞いた。
 盛大に笑われて、急に恥ずかしくなった。
 都合の悪いシーンほど、はっきり見られてしまうものだ。たったそれだけのことだと、見逃してくれない。
「そんなに笑うこと……」
「だっておかしいのだもの。あははっ」
 けれど、一人の人間に、こうまで裏もなく、楽しげに笑われるのならそこまで悪い気はしなかった。
「大丈夫?」
 とプールサイドに落ちた僕に駆け寄って来たのは、燐光をまとう僕と同じくらいの年の、水着姿の少年だった。あまつさえ、髪から水を滴らせている。水中ゴーグルを外した目は、ぱっちりとして、もしかしたら僕よりも生き生きとしていた。痛む身体を押さえて、大丈夫と応えたらこんな大笑いされたのだ。
「こんな時間にこんな場所で何をしてるの?」
 言えない。
 いじめっ子に呼び出されて、しかも忘れ去られたなんてこと。
 それはいじめられっ子なりの、プライドだった。
「そんなの、あんたこそ」
「泳ぎの練習、してただけだけど? プールだし、それ以外に何が?」
 きょとんとして返され、僕はかろうじて持っていた気勢も奪われてしまった。

 過去、うちの学校のプールで、死人は出ていない。でも、幽霊の噂は本当だった。水泳部でも何でもない彼は、プールとは全然関わりのない事故で亡くなり、大会で一位になるといった野望もないまま、時々ここで泳いでいるらしい。
 ただ泳ぐのが、水の感触が好きなんだという彼。
 プールの縁に座って彼の泳ぎを見ていると、その言葉の意味がよく分かる。幼児用の絵本に書かれたクジラのようにぷかーっと水に浮いて、ゆったりと進む。水と戯れ、早く泳ごうなんて気持ちに囚われた様子は微塵もない。
 時間の制約に囚われることのない、幽霊だからこその余裕なのだろうか。
「いやいや、幽霊にだって面倒ごとはあるよ?」
 彼はプールの中に立って、笑ってこちらを見上げる。
「だからそういうことを、時々忘れたくってさ」
 その気持ちは、ようく分かる気がした。
「ふぅん」
 と流そうとした僕の、気付けば彼は足許まで泳いで来ていた。彼の立てる波は、彼の身体と同じく、薄く夜光虫でもはらんでいるかのように弱く輝いていた。
「君も泳いでみない?」
 っと彼は僕に笑いかける。
「無理」
 僕は即答した。
「何故?」
「僕は泳げない」
 水の中を気持ちよさそうに泳ぐ、彼の姿を見ているとやってみたい気持ちにもなるが、僕は根っからのカナヅチだった。この言葉は比喩でも何でもなく、本当に身体に鉄でも詰まってんじゃないかって程、身体がストーンと水の中に落ちていく。
「別にぼくだって泳ぎが上手い訳じゃ」
「浮かないんだよ、全然」
 1と0とは、全く別物なのだ。少しでも出来る奴は出来ない奴の気持ちなど解せないのは世の常だった。
 彼は突っ立ったまま、しばらく僕を見つめ、それからにっこりと笑って
「やってみないと分からないでしょ?」
 と言って、僕の足を引っ張ろうとした。
 とんでもない――流石に驚いて、それを払おうとした手を、がっしりと掴まれたとき、改めて僕は彼が幽霊なのだと思い知った。ひんやりとして、生きた人間の温かさが、その手にはなかった。僕は引っ張られ薄く光る水面に落っこちた。
 耳元でゴボゴボと水が暴れる。夏が近いといっても、夜ともなれば水は冷たい。それに、やっぱり無理無理無理……! との必死の思いが、僕の両手両足をバタ付かせた。
 授業のときでさえ、身体を水に浮かせることもまともに出来ない僕が、服を着たまま水に落ちて、器用に泳げる道理は何もなかった。
 僕は足が着く深さの水の中で、パニックになり、簡単に天地を見失った。目の前で水が泡立つ。
「抵抗することはないんだ」
 少年の声が耳元、っというよりも頭の中でした気がした。
「ほら」
 その声に誘われるように、全身からふっと力が抜けた。溺れる! っと僕は、そんな身体の感覚とは離れたところで、目をぎゅっと閉じた。

 気が付いたときには、僕はプールにぷかんと浮かんでいた。……案ずるなかれ、息はある。
 僕の眼前には夏の夜空が広がっていた。それも満天の星――大きな天の川が、まるで僕の胸を感動で押し潰さんとするかのようにさんざめいて見下ろしていた。
「………………殺されるかと思った」
 なんで僕がそんなことするの。
 おかしそうに笑う声は、今度ははっきりと僕の頭の中でした。
 ……当然だ。
 僕一人ではこんな風に水に浮かぶことなんか出来るはずがない。
 幽霊に身体を乗っ取られ、カナヅチのくせ肌に触れる水の気配をこんなにはっきり感じるというのに――それでも、何故だろう? 恐怖心は、欠片もなかった。
 水が大好きだという彼が身体の中に入っているからだろうか、心地よささえ感じたかもしれなかった。
 君はちょっとね、力を抜くのが、苦手かな?
 ……そんなことは、わざわざ彼に言われるまでもなく分かっていた。僕は、力を抜くのが下手だ。いつも、力が入り過ぎていて、そのせいで上手く行かない。何事に対しても僕には、そんな嫌いがあった。
 優しくそれを諭された気がする。だけど口を突いたのは、
「どうするんだよ、帰りビショビショなんだけど? 服」
 あ、そこまで考えてなかった……。
 脳天気な声に、しかしそこまで悪い気はしなかった。

 もう出ようか?
 そんな声に、僕はもう少しと応えた。どうせならもう少しだけ、この星空を見上げていたかった。
 了解、と彼の声は笑った。
  • 桂(小説)
  • 2015/10/19 (Mon) 23:49:50

第9回 「散る、散る、満ちる」

いつも勘違いされる
ひらり舞う花びらは紫
騙されたような顔をしないで

誰もわたしのいる場所を知らない
だぁれも気付かないのです

散った後の花びらを見て
桜かと目を細める
君がはっと僅かに目を見開く

少しでも
君の心を動かせたなら
次の春まで
きっと寂しくはないのです
  • 桂(詩)
  • 2015/06/25 (Thu) 00:39:16

第9回 「花を還すもの」

00
「私たちは妖精さ。」というのは、一昨年の秋に死んでしまった祖母の言葉であった。
「わたしたちは泥棒だよ。」というのは、昨年の春に床に臥せった母の言葉であった。

01
ぼくの一日は母の看病から始まる。彼女は日当たりのいい南向きの部屋で日がな一日布団の中で目を閉じている。瞼は開いていないが、必ずしも眠っているわけではなかった。ぼくが六歳のときに母は目に病を患ってしまい、それ以来網膜は光を受け付けることがなくなったのだ。祖母の最期の顔を拝むことも叶わず、彼女はそのときばかりは少しの後悔を見せていたと思う。しかし普段はとても気丈でいて、いつも見えないはずの子供たちの行動を口うるさく叱った。
起床してすぐ自分のぶんを含め家族たちに朝御飯を作り、母には薬も運んだ。医者から処方される薬の数は日を重ねるごとに増えていき、今では十種類を越えている。数に比例して出費がかさんだので半年前から二番目の姉は出稼ぎへ向かった。泊まりの仕事であるのでもうしばらく顔を見ておらず、妹たちはとても寂しそうにしている。祖母が死んだときも同じような顔をしていたし、一番上の姉が出ていったときもそれに似た顔をしていたが、やがて全ては薄れていったので今回も時が解決してくれるだろう。子供の記憶は長く続くが感情は刹那的である。
家事をおおよそ終えるとぼくは妹たちを連れて日課へ向かう。北の森を抜けた先にあるところで代々続く伝統を彼女たちに教えるのだ。ぼくも姉から教わっていたがそれもまだ途中だ。教えきらないうちに姉は出ていって、二番目の姉も完璧に習得していないらしい。「ごめんね、不甲斐なくて。」それは二番目の姉の口癖だった。否定することは簡単たったが、ぼくは特別な返事をすることなくいつも曖昧に笑って誤魔化していた。
ゆっくりした歩調で森を歩くとき一番下の妹は「今日はどこまで行くの?」決まって答えを請った。「花屋さんまでさ。」そしてぼくは同じ答えを口にする。「昨日のとこらかしら?」「いいや、今日はそのお隣だよ。」「また少し遠くへゆくのね。」末妹はどこまで行くにしても不服そうな顔をする。早く家へ帰ってお人形遊びをしたいのだ。口には出さないが五番目の妹も家で本を読みたがったし、四番目の妹も母の傍らに付き添いたがった。二番目の姉の時はこうでなかったと記憶しているのは、おそらくそのときは自分も早く帰りたいと思っていたからだろう。
森の先にある町には花屋がたくさんあった。世界でも有数の名所である花畑がすぐ近くにあるから、手っ取り早く儲けを得るためには花屋を開いてついでに土産物を観光客に売り付けるのが有効であったのだ。ぼくたちが入るのはそういった純粋さの抜け落ちた店だ。この前のお店では四番目と五番目の妹が失敗した。今日は不備がないよう再三の確認を終えた上で、下準備をしてから森を出る。昼下がりの町は、おだやかな日差しとは裏腹に忙しなくひとが行き交って目まぐるしかった。きっと、花の美しさなんて本当のところは誰も見ていないのだ。

02
ぼくたちの仕事は、花を助けることだった。人間の手によって摘まれ、不当な扱いを受ける彼女たちをぼくたちの村まで持ち帰って本来あるべき姿へと戻すのだ。これは村の誰もができることではなく、ぼくの一家が伝統的に受け継いでいることらしい。起源がいつであるのかは不明だが、それは必ずしも重要であるとは言えなかった。とどのつまり姉妹全員がしきたりを覚えて次の世代へと伝えなくてはならないということに変わりはない。
一度だけ末妹に一番上の姉はどうして裏切り者と呼ばれているのか訊かれたことがあった。その理由はおおむねそういうことに由来している。彼女はこの村を出ていった。それだけのことなのだ。大義名分を背負うことなく村を捨てた彼女が今どこで何をしているのかということは母しか知らぬことである。花の噂では町の人間と恋に落ちて消えてしまったと聞いた。それが本当であるとしたら、とても可哀想な結末である。姉もそれは重々承知の上で決断したのかもしれないが…いや、脳みそが春のように呆けている彼女のことだから何も考えていないということもありえるが、それでも仕事より恋愛をとったのだ。
仕事を覚えるより前に聞かされる物語がある。それは村の誰もが知ることだった。村の外へ出ていったひとりの女の子と人間の話だ。かいつまんで結末を話せば、その女の子は人間の男に殺されてしまって寂しい最期を迎える。どうして幸せになれないのと訊いたのは、確か五番目の妹である。それは語り始めた昔のひとがそのように作ったからではなく、ぼくたち村人に外へ出るなと言う言外の命令であることは明白だったが幼子にわざわざ教えるのは気が引けたのか、姉は「女の子が悪いことをしてしまったからよ。」あながち間違いでないことを言ってからそっと教訓を彼女の中に刷り込んでいた。よくできた機能である。
きっと妹ももう少し大人になれば理解することだろう。ぼくたちは、決して外の世界で上手に生きることはできないのだと。

03
「上手に生きるって、どんなことだろうな。」ある日、町で知り合った男の子と偶然再会した際、彼は唐突に言った。どうやら母親からもう少し上手に生きるようたしなめられたらしい。彼はずいぶんそそっかしい男であったので納得したように笑うと、すかさず額を弾かれた。ぼくの額を犠牲にしても彼の機嫌が戻ることはなく、つきだした唇からは母親に対する愚痴がいくつも漏れた。ついにはそれが父や兄へ移るようになってようやくぼくは話を遮り、「ぼくはよくわからないけれど。」「ん、なんだ?」「上手に生きるというのは、幸せと同義じゃないかな。」結論を述べたが、彼の頭では理解できなかったらしい。上手に生きないと幸せになれないのか、と問われた。そうではない。因果関係が逆である。幸せだから上手に生きているのだ。「じゃあ、おれは幸せじゃないから上手く生きられないのか?」少年は眉を下げてぼくに問う。「そうかもしれないね。」「間違ってる。おれは、今幸せだ。」「道化かもしれないよ。」「そんなわけない。お前と再会できたんだ。これ以上の幸せがあるかよ。」彼は笑った。ぼくは上手に笑えなかった。一番目の姉の気持ちが、少しだけ見えた気がしたからだ。
堪らず苦笑をこぼしてぼくは全てを誤魔化した。そろそろ妹たちが仕事を終えて帰ってくる手はずとなっている。彼のことを見られるのはいけなかった。話を早く切り上げなければならない、という焦りが胸を責め立てる。祖母の言葉が脳裏を過り、母の言葉が頭の中で回った。それら全てを内包するように姉に聞かされたおとぎ話が如実となって現れる。それを裏切りと呼ぶのであれば、おそらくぼくたちはとても窮屈な世界に生きているに違いなかった。しかし生まれてきたときすでに形成されていたものを崩してしまう勇気も気概も持ち合わせていないので、残された道というのはやはり裏切りがついて回る逃げだけなのかもしれない。一番目の姉がとった行動は、二番目が必然的に出稼ぎに出たことと同じく半ば強制されたレールだったのかもしれない。すると、気の毒なのはどちらだろうか。ぼくにはわからない。わかりたいとも思わないので思考は放棄した。
まだ言いたいことがあるらしい彼の言葉を遮って座っていた石段の上から飛び降りた。太陽がぎらぎらと照りつけるもとで、背後に控える花畑では旬の花が盛りを迎えている。「ぼく、もう行かなくちゃ。」前に別れたときと同じ台詞を吐いていることに気づいたのは、後になってからである。彼は少し驚いた顔をしたが、それでも笑った。ぼくは村のしきたりで長く外出できないという理由をそれらしく作り上げて話していたので無理強いはできないのだ。「いつかさ、」だから、そのときは想像もしていなかった。「おれは、お前を拐いにいくよ。おれが上手に生きるために!」

04
ぼくの一日は子供たちの挨拶から始まる。瞼の裏はいつまでも暗いが、彼女たちが「おはよう。」そう言えば朝が来たことの合図であった。全部で六人いる子供たちは皆が女の子であって、やはり一番目は阿呆で、二番目は頼りなく、三番目は一番目に輪をかけたでき損ないで、四番目は母を溺愛し、五番目は活字に溺れ、六番目は随一の才能を発揮した。おおむねそのようにできているのだと母から聞いたのは、ぼくが成人する前の日だったと思う。そうなのか、と適当な相槌を打ったのはその子供たちの世話をする役はぼくに回ってこないとばかり思っていたからだった。四番目の子供がぼくのところへ朝一番にやってきて威勢のいい挨拶をし、二番目の子供はあまり上手でないご飯を運んだ。一番目は三番目を引き連れて出掛けており、五番目はぼくに話をねだって六番目はそれに続いた。いつもの朝の風景だ。
ぼくはたくさんの話をした。母から聞いたものもあったが、多くそれは自分の体験に基づく話が多かった。六番目が気に入った物語はぼくがある男の子と出会って殺されかけた話であった。スリルと多少の愛が盛られているおかげだろう。ぼくは嘘偽りなく事実を話したが、彼女たちがそれを全て信じているかどうかは定かでなかった。五番目がねだる話は六番目のお気に召さないおとぎ話だ。昔々、南の森を抜けたところにひっそりと暮らしていた妖精のお話。五番目は六番目よりいくらか年上であったけれど姉妹の中では誰よりも夢想家で、唯一の妹にはいつも馬鹿にされていた。ぼくはそれをたしなめるが、彼女が言うことを聞いた試しはない。まるで自分の妹たちを見ているようだと笑うと、子供たちは叔母さんたちに会いたいと願ったが、それは決して叶わぬことだ。
今日は何の話がいいだろうと問いかけると、末の二人はじゃんけんを始めたようだった。二番目はあまりうるさくしないように口では注意しながらも笑っていることがわかった。賑かだね、というと彼女は同意をしながらぼくの口へと食事を運ぶ。床に臥せって日は長いが、いまだこの老人介護のような仕草にはなれなかった。母もこのような気持ちであったのかと思ったが、結局親の最期に顔を見られなかったことを悔やまなかった自分と母とでは気持ちの構造は違うのであまり深く考えない方が懸命である。視界が閉ざされて久しく、思い出すのは母の言葉でも祖母の言葉でもなく、多く接した花の景色だった。
間もなくして六番目の妹が勝利したとぼくの腹へ飛び込んできた。今日は妖精の話と相成ったらしい。「ねえ、早く!」急かす彼女の頭を撫でながらぼくは口を開いた。

「昔々あるところにね、泥棒を働く花の妖精がいたんだ。」
  • 利郁(小説)
  • 2015/06/25 (Thu) 00:37:41

第9回 「つゆいろ湛え」

光に向かう
  • ワタリマコト(写真)
  • 2015/06/25 (Thu) 00:35:48

第9回 「薫るは花、踊るは心。」

久々にお絵描きしたくなって描いてみました。絵タッチは少しいつもと違うのですが、セーラー服なのは譲りません。
  • 鱸(絵)
  • 2015/06/25 (Thu) 00:33:07

第8回「東京の夜は短い」

東京の夜は短い
  • 幽吏(写真)
  • 2015/04/06 (Mon) 01:08:17

第8回「お題・睡眠。」

時刻は夜中の三時。
カチ、カチと暗闇で携帯を打つ音とライトがあたしの周辺を照らす。
布団にくるまって彼に送るメールの送信ボタンを押そうか否か迷ってたところだ。

『今なにしてた?』

それすら送れなくて五時間も携帯とにらめっこ。
たかがそれだけの文章なんだ。
でも送れない自分がいる。

『じゃあ、後でな。』

それが最後のメール。
うん、またね。なんて送らなくてもいいかなって思って送らずにそのままにしていた。
後で後悔するなんて知らなくて。

『送信できません』

そう表示する画面には確認ボタンしかなくて、拒否権はなくて。
馬鹿みたいだと思った。
…ああ、せめて。
あのメールを返信していたら彼はまだいたのだろうか。





リグレットメッセージが一件あります。
(夢の中でいいから最期のお別れを言わせて。)
  • 鱸(小説)
  • 2015/04/06 (Mon) 01:06:58

第8回「必ず夢を見る」

 テレビをつけたら、神妙な顔をしたアナウンサーが、巨大隕石の落下による地球滅亡まであと三日を切ったことを告げていた。
 私は心底うんざりして、ふかいふかいため息をついた。どのチャンネルを合わせても、みんな口をそろえて「隕石隕石」と言う。
 これでもう何日目になるのだろう、この夢を見るのは。
 苛立ちに任せてナイフとフォークを握る手に力を込めたら、それは肉を裂ききって皿と擦れあい、嫌な金切り声をあげた。
 父の両目が、ちろりとこちらを盗み見た。夢の中の父は、滅多に私を視界に入れようとしない。今みたいに咄嗟の反射で私を捉えてしまったときも、その眼球は奈落のように黒々として、いつも怯えるように震えている。

「地球が滅亡するんだって、お父さん」
「……ああ」
「いやんなっちゃう。どうせならもっと楽しい夢を見たいわ。だってあんまりだと思わない? 眠ると夢を見ずにはいられない私に、こんな悪夢ばかり見せるなんて」

 ぼやいてから、ふと自嘲した。私は今、いったい誰にぼやいたのだろう。いま、眠って、夢を見ているのは他でもない私で、その夢を誰かがどうにかすることなんてできない。
 私にも、私以外の誰かにも。
 父は何も言わなかった。黙って薄いローストビーフにフォークを突き立て、静かに口元へ運ぶ。その動きを、淡々と、規則的に繰り返す。どうして夢に出てくる父は、いつだってこうもつまらないのだろう。本当の父は、もっと明朗で愉快な人なのに。
 だけれど、これだって父だ。私の意識が創り出した、父だ。

「ねえ、お父さん」
「……なんだ」
「こんなつまらない世界は、滅びてしまえばいいと思うわ。隕石でも異星人でも、なんでもいいから、早く滅ぼしてしまってほしい。朗らかなお母さんも、優しい友達もいないこんな世界。あなたみたいなつまらないお父さんと、ただ広いだけの、箱みたいなこんな家でふたりきり、起きて、ご飯を食べて、お風呂に入って、眠るだけの、こんな世界。……ねえ、お父さん、隕石が落ちて世界が滅亡したら、私また新しい夢を見られるかしら。今度はもっと、楽しい夢」

 父は、鈍く光るナイフに目を落としたまま手をとめた。その瞳はナイフに反射する冷たい光さえ受け付けないで、相変わらずどこまでも暗い。

「ごちそうさま。もう寝るね」

 私は父の返事を待たずに席を立った。
 毎日毎日、こんなつまらないのはもう散々。早く目覚めたい。あとは、お風呂に入って、眠るだけ。
 それで、夢は醒める。

「……すまない」

 部屋を後にする直前、父の蚊の鳴くような声が私の背を撫ぜた。振り向いたら、父の奈落の目が、自ら私を捉えて震えていた。

「……いいよ。だってこれ、夢だもの」

 私はそう答えて部屋を出た。





 その日、ベッドに潜り込んで目を瞑り、夢から醒めるのを待ちながら、私はふと考えた。
 父はさっき、私に何を謝ったのだろう。
 自分がつまらないこと? そうして私を退屈させていること?
 私は、瞼の裏の暗闇を見つめながらしばらく考えたけれど、やがて思考を放棄した。
 そんなことはどうでもいいか。だって、どうせこれ、夢だもの。意味なんて必要ないわ。
 目が覚めたら、みんなに話してみようかしら。明るい父が、朗らかな母が、優しい友達が、「おかしな夢だね」って、一緒に笑ってくれるでしょう。
  • 環(小説)
  • 2015/04/06 (Mon) 01:02:01

第8回「夢」

夢を見た。
僕は一人浮かんでいて、暗い世界の果てには僕を大好きな女の子がいるように思えた。
とても暖かくて、安心できて、ずっと見ていたいと思うような夢だった。
僕は小鳥の囀る爽やかな朝の空気の中で、そう思い返した。


「ねえ、私今日貴方の夢を見たんだ」

デートの最中に彼女が言った。
僕は何だかとても嬉しくて、「僕も見たよ」と言いながら、握った手に力を込めた。

彼女と僕は二つ違いである。
年上の彼女はとても寂しがりでいつでも僕を欲している。会いたい会いたいという。
そうなると、決まって僕はそうだねと返事を曖昧にする。
正直、良くわからないところがあったのだ。
僕は彼女に好かれ、恋人という関係にあるが、本当に欲しくて欲しくて堪らない程に彼女を愛せているのか、と不安に思う。
勿論彼女にはそれを話したことはない。


「あのね、」と彼女が口を開く度、僕はいつも緊張する。
上手く返事をしてやれるだろうかと不安に思う。
僕は彼女に興味がないのかと悩んでいた頃もあった。
無論これも彼女は知らない。

「あのね、」と彼女が口を開いた。
「なに」と返事をすると、彼女の口から零れ出たのはこれまで僕が伝えて来なかった、シンプルで難解な愛の言葉だった。
僕はそれに、何の緊張も持たず、それを言うのが当たり前であるように返していた。

「僕も好きだよ」


いつからか、僕は彼女の世界で生きていた。
彼女に好かれて守られて、その暖かさに包まれる今の状況を愛して生きていた。
これは、僕が彼女を好きだということと同義だ。
そうでなくてはいけない。
そうだ、いけない。

今朝の夢が、僕の心を映した。
  • 幽吏(小説)
  • 2015/04/06 (Mon) 01:00:59

第8回「子守唄を」

講義中によく眠ってしまう人間なので。
  • 利郁(絵)
  • 2015/04/06 (Mon) 00:59:38

第8回「眠らない街で会いましょう」

工場夜景。
眠ることなく稼働し続ける工場の姿が心底美しいと思う。
  • 掠(写真)
  • 2015/04/06 (Mon) 00:58:03

第7回 「池の鯉」

その神社の池には鯉がいた。鳥居の上には男がいた。この風景は、僕の小さい頃から何も変わらない。
 まだ小さかった僕の手を引いた母は、池にかかる石橋から下を覗き込む僕を見て
『鯉はいつか龍になるのよ』  と教えてくれた。
 碧く濁った水の中を泳ぐ黒い鯉の何匹かは、僕がこうして大人になるまでに、大空へ巣だって行っただろうか。しかし、数はあまり変わった気がしない。龍になろうにも、この池には滝はおろか出口さえないのだった。
 ただ、鯉がとても長生きな動物であることは頷ける。僕が生まれるずっと前からそこで生きていたような顔をして、風景になりきっている。
 それから鳥居の上の男。
 まるで家のタオルかけに彫られた小鳥のように、いつもそこにいる。
 季節はずれの、どこかの旅館の、黒い浴衣のようなものを着て、下を覗き込んでいる。顔は、こちらこそ人であるのに、肝心の表情がよく分からない。そもそも僕以外は、男が見えないらしいので、分からないことこそ正常なのかもしれなかった。
 これが僕の、お参りの前風景。今年は遅い初詣になってしまったが、参る人は僕の他にもぱらぱらといた。
 僕は白い息を吐いて、鳥居の下を通り過ぎた。声を掛けることはもうしない。アレは、ああいうものだと割り切ってしまえば、恐いこともない。風景と同じだ。害もない。池の鯉と同じだ。
 鳥居の上に小石を放る子どもを叱る大人の声が後ろから聞こえた。その子にも男が見えているのかと思ったが、鳥居の上に石を乗せれば、願い事が叶うという話を思い出した。しかし、わざわざ初詣で、それをやる必要もない。
 肩越しに振り返ってみれば、男は微動だにしていなかった。……石は、当たらなかっただろうか。
 
 勿論帰りも、同じ道を辿ることになる。
 毎度のことだから、もう慣れてしまった。それでも鳥居の真下を通るとき、息を詰め、心の中で恐くないと唱える。
 ――つまらぬ。池の鯉と同じか。
 背中に投げかけられた声には、怒りが。
 いや、それならばまだ良かった。その声には、失望が色濃く滲んでいた。僕の心臓が存在を主張するようにドキッとはねた。
 ばさりと重々しい翼を開く音がして、はっと振り返ったときには、鳥居の上に男は居なかった。
 そう、それが当たり前の風景。みんなに見えている世界。
 なのに何故、落ち着かないのだろう。前より不安が増したのは何故。  見捨てられたのは世界だろうか。それともこの僕だろうか。
 苔むした風景の中、僕は取り残された。池の中では素知らぬ顔で、鯉が泳いでいる。
  • 桂(小説)
  • 2015/02/03 (Tue) 23:30:01